先日、常光円満寺にて『さんまのからくりTV』の撮影がございました。

からくりTVさんは、高知県にすむ8人兄弟の生活を半年くらい追っているそうで、放送も何度かしているそうでございます。

この度、その一番上の長女が、大阪に就職が決まり、兄弟みんなで就職前の思い出旅行を計画。その宿泊先に常光円満寺を選んでくださいました。ありがたいことでございます。

8人兄弟ということで、大変なのかなって思っておりましたら、皆さんとても礼儀正しくて、しっかりと挨拶してくださいました。お話さていただいても、とても素直で言葉づかいや行儀もよく、何より兄弟の仲がとてもよくて、見ていて気持ちが良かったです。

撮影中も、みんなまったく緊張する面影もなく、料理をつくったり、一緒にお風呂にはいったり、花火をしたり、大切な時間を楽しそうに過ごしておりました
そしてなんと、8人兄弟へのサプライズで、兄弟みんなが大好きな『つるの剛士さん』が駆けつけてくださり、大盛りあがりでした。

素直な子供たちの姿は見ていて本当に気持ちの良いものですね。
子供たちの喜ぶ姿をご覧になられて、お地蔵さまもさぞかし喜んでおいでだったことでしょう。

最後には、スタッフさんからの配慮で、お寺の者も含めた全員で写真をとっていただきました。
私たちにとっても、とても良い記念になりました。

【さんまのからくりTV】
 放送日:5月26日午後7時 TBSにて
 よろしければご覧くださいませ
今日は「花まつり」でございます。

花まつりというと満開の桜の木の下で、みんなでおいしいお弁当を広げて花見をすること?
確かにそれも花を愛でる「花まつり」ですね。でもここでいう「花まつり」とは違います。

仏教でいう「花まつり」とは、4月8日にお生まれになったお釈迦さまの生誕をお祝いする日なのです。

お釈迦さまは、色とりどりの花に囲まれたルンビニーの花園で誕生されました。
あたりには、うつくしい音楽がひびきわたり、甘い香りの雨がふりそそぎ、お釈迦さまの体をきれいに洗い清めました。
するとお釈迦さまは、すっくと立ち上がり、七歩あゆまれ、天と地を指さされ「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言われたのです。四月八日のことでした。

この言葉を直訳すると「天にも地にも世の中で自分ほどえらいものはいない」という意味になりますが、そういう意味ではございませんよ。

それでは、本当はどういう意味なのでしょうか。26歳の若さで亡くなった天才童謡詩人、金子みすずさんの有名な詩に次のようなものがあります。

 『私と小鳥とすずと』

‘わたしが両手をひろげても お空はちっともとべないが とべる小鳥はわたしのように、地べたをはやくは走れない わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのようにたくさんな歌はしらないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい’

お釈迦様のいう唯我独尊とは、この世の中で、みんなそれぞれにお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、かけがいのない尊い命であるということです。

‘みんなちがって、みんないい’

人間だけでなく、動物も虫も植物も物もお互いにみんなそれぞれ尊い存在です。お互いの違いを認め理解し合うことが大切なのでございます。時間もそうですよね。例えば「10年に1度だけ」などというと、とても貴重なめずらしい日に感じられますが、今日(2013年4月8日)という日も、未来永劫でたった一日だけの貴重な日でございます。

かけがえのない時間、かけがえのない自分。まわりの皆様もかけがえのない方々。かけがえのない物、すべてそれぞれ大切な尊いことなのですよ、という意味が「天上天下唯我独尊」という言葉に込められているのです

もちろん、あなたにとってお子さまはかけがえのない存在でございましょうし、お子さまにとっても、あなたはかけがえのない存在でございます。

「天上天下唯我独尊」

そのお心を大切にしましょうね。

合掌
先日、講演会で、とてもいいお話を聞きました。

ある企業が、七階建てのビルを持っていました。
各階に社員用のトイレがあるのですが、それがいつも落書きで汚されてしまうのです。
社長自ら、何度も何度も社員を全員呼び寄せて注意をするのですが、まったく効果がなかったのです。それどころかどんどん落書きがひどくなっていったそうなんです。
この社長もいうことを聞いてくれない社員にストレスは溜まるばかり。
とうとう社長も匙を投げてしまわれたのです。

それで、トイレ掃除だけをしてもらうためにパートのおばさんを雇われたんですが、この、たまたま雇ったおばさんが、すばらしかったのです。

一生懸命すべて落書きを消されて、そしてすべてのトイレに小さな張り紙を張られたのです。

すると、会社の社長がいくら注意しても無くならなかった落書きが、その張り紙をはってから、ぴたっとなくなったんです。

社長が驚いて、信じられない思いで見に行ったら、小さな張り紙にはこう書いてありました。

『ここは私の大切な職場です。この職場を落書きで汚さないでください』と。

このおばさんが、「トイレ掃除はたいした仕事ではない」と思ったら、たいした仕事ではありません。反対に「トイレ掃除は、私に与えられた大切な仕事なんだ」と思えば、素晴らしい重要な仕事になるんです。

そして、その思いもってされている方のお心は、周りの方々もちゃんとわかってくださるのですね。

社長は初めて気付かされたそうでございます
「肩書きじゃないんだ。与えられた役割、仕事をどういう姿勢でやっているか、そういう心がけが大切なんだ。思いを変えることによって、職場を変えることができるのだ」と。


3K(危険、きたない、きつい)という言葉がございます。本人が3Kと思ったら、そこは3Kの職場になります。しかし「私にとっては、ここが大切な職場なんだ」と思ったなら、どんな職場だって素晴らしい仕事場になるのです。

今、主婦をされている方は家事が、自分に与えられた素晴らしい役割でございます。学生の方であれば、どういう思いで勉学に励むかが大切なのでございます。

そして、召されたお子さまを心から想えるのは、あなたご自身しかおりません。あの子の笑顔の為に、自分には何ができるのかという想いをこれからも大切になさってくださいね。

最後に、私は、召されたお子さまのお供養をいう、たいへん尊い役割をさせていただいております。
この、すばらしい役割に毎日、感謝しております。
これからもご両親のお心を大切に、真心をこめてお子さまのお供養させていただきます。

副住職 藤田晃秀 合掌

今年もひな壇をおまつりさせていただいております。

子供たちを事故や病気から身代わりとなって守ってくださるという云われのある雛人形。
召された子供たち、お参りに来てくださる子供たち、そしてすべての子供たちのことを見守ってくださるように願いと、見守りくださることへの感謝の気持ちを込めて、大切にお飾りさせていただきました。

お地蔵さまにとっても、心強い味方ですね。

お子さまは、お地蔵さまのお慈悲と、美しい雛人形、そして皆様の慈愛に包まれ、とても幸せを感じていることでしょう。

お地蔵さまや、お雛さまに感謝。そして、これからも優しく見守りくださるお子さまに感謝の気持ちを大切にしましょうね。

ひな壇は3月3日までお飾りしております。
召されたお子さまの幸せを願うため、そしてお子さまがいらっしゃる方は、お子さまの無事成長をお祈りして、是非この機会にお参りくださいませ。

【追伸】
お写真をおとりくださっても結構でございます。お子さまがいらっしゃる方は、ひな壇の前にお子さまを座らせてお写真をおとりくださると良いでしょう。
本年もよろしくお願いいたします。

皆様は、大野勝彦さんをご存知でしょうか。
大野さんは絵を描き、詩を書く芸術家の方なのです。
とても、ほのぼのした絵を描かれる方でございます。

この大野さん、実は今から20年ほど前、事故にあわれるのです。農業の機械に両腕を挟まれまして、両腕切断という大事故にあわれた方です。

大野さんは、そのときの様子をこう語っています。
「自分の腕がミンチのようにぐちゃぐちゃになっていく姿は、想像を絶する恐怖でした。
母が横で泣き叫びながら必死に、必死に助けようとしてくれたことが印象に残っています。」と

母親は、事故後、息子を助けることができなかったと、自分を責めて嘆き苦しまれていたそうなんです。大野さんは、そんな母の姿を見て、
「このままではいけない。このままではこの母の苦しみをとってあげることはできない」と思い、なんとか自分を奮い立たせて、失くしてしまった腕の傷の上からガムテープで筆をはり、手紙を書かれたのです

内容は
『ごしんぱいをおかけしました。両手先ありませんが、まだまだこれくらいのことでは負けません。
私にはしなければならないことがたくさんありますし、多くの人が私をまだまだ必要としているからです。がんばります』

それから両腕の傷が癒え、失くしてしまった腕の代わりに義肢をハメ、その義肢の先に絵筆をもち、一心に自分の思いを書かれたんです。

事故をする前までは、わがまま放題だったそうなんです。しかし母の愛や皆様の優しさに触れて、周りがとても温かいことに気がつかれたんです。両手を失ってからガラッと想いが変わられて、自分にできることということで、作品を描いてみんなに喜んでいただくという素晴らしい魅力にとりつかれるのです

ほとんどが自分自身へ向けてのメッセージなんですけども、これらの作品が多くの方に勇気と感動を与えることができたんです。
そしてついには、『芸術祭金賞』という尊い賞を取られた方でございます。

そして、私が大野さんについて最も感動したことが以下の内容です。

ある方が大野さんに、もし何か願い事が叶うとすれば何か欲しいものはありませんか?尋ねられ、大野さんは少し考えられます。
「私は今、こんなに幸せにしておりますので欲しいものはありません。」
「でも、もし願いが叶うならば、私は私の両手が欲しいです。」
そうおっしゃったんです。

私は、それを聞いて、どんなに上手に絵を書く事が出来たとしても、どんなに上手に詩を書く事が出来たとしてもやはり自分の両手がいいんだなぁ、自分は幸せなんだなぁって、そう思ったんです。

しかし大野さん、こう言われたんです。
「5分間でいいんです。いや、1分間でいいんです。私は私の両手が欲しいんです。」って言われたんです。

私はそれを聞いてどうしてだろうって思ったんですが、大野さんはそのあとでこうおっしゃいました。

「私は本当に両手を失くして、たくさんの人たちに助けられるありがたさを覚えました。たくさんの人と知り合うことができました。毎日毎日、こうして楽しく暮らしております。私は何も欲しいモノはありません。

だけど、ただ一度だけ願いが叶うとするなら、ただの一つだけ願いをかなえてくださるのなら、私は私の両手をしっかりと胸の前で手を合わせて、両親や私を助けてくださった皆様にありがとうございますと伝えてみたいんです。

私はわがままほうだいで、手があるときには、合掌したことなどなかっんです。だから一度で良いから合掌して、みなさんにありがとうございます。と伝えたいんです」
そうおっしゃったんです。

私たちは、ちゃんと両手がございます。ちゃんと手を合わせることができます。手を合わせて感謝の気持ちを伝えることが出来ます。これってすごくすばらしいことなんだなぁって。

私は大野さんから、両手があるあたりまえのすばらしさ、手を合わせて感謝できることの素晴らしさを教えていただきました。

皆様も“あたりまえの素晴らしさ”や“感謝できる素晴らしさ”を今一度感じましょうね。

私も、皆様の可愛い可愛い赤ちゃんたちの供養をさせていただくことに感謝して精進いたします。
今日はクリスマス。
お寺にクリスマスって不思議に思われる方もいらっしゃるでしょうね。

でも常光円満寺は、召されたお子さまへの贈り物としてクリスマスプレゼントがたくさん届くのです。
クリスマス前の地蔵堂は、親の愛情がいっぱい詰まったのプレゼントの世界に様変わり。
自然に天国で、はしゃぎまわる子供たちの姿が浮かんでまいります。

お参りにこられた方は、このプレゼントに包まれた地蔵堂をご覧になられてびっくりされていたと思います。中には「うわぁ~すご~い」とお声をあげて感動される方もたくさんおいででございました。

そんな中、私が何より嬉しかったのは、お参りくださる方の表情が笑顔でいっぱいなんです。きっと皆さんも天国で喜んでいる子供たちの姿を感じてらっしゃるんだと思います。
中には涙をされる方もいらっしゃいますが、ほとんどの方が笑顔の涙なんです。つまり、哀しみの涙ではなく、温かく優しい涙でございました。
子供だけでなく大人まで笑顔にさせるクリスマスってすごいですね。

外はとっても寒いですが、地蔵堂はたくさんの皆様方の親の愛情が感じられて、私の心はとても温かく過ごさせていただきました。

深い哀しみばかりだったお心が、年を重ねるごとに優しい笑顔でお参りできるようになっていくお姿は、見ていて美しいものでございます。
そんなお姿を見ると、水子さまも、いつまでも親の愛に包まれて、幸せなことだなぁって思います。

私は、皆様が流される涙は、決して哀しみの涙ではなく、温かい涙が自然と流れてくるような、そして前向きな気持ちになってくださることをいつも願って、真心込めてお供養させていただいているんです。そんな想いが通じて、次はあの子に笑顔でお参りにこよう、逢いにこようって思ってくれることが、私の大きな喜びなんです。

常光円満寺のお供養が、水子さまだけでなく、あなたにとっても思い出に残るすばらしいお供養になることを願って…。

副住職 藤田晃秀