本年はあいにくの天気になりましたが、足元の悪い中、本当に多くの方がご参拝くださり、心より感謝申し上げます。
お供え物も、皆様方の想いの感じられるすばらしい贈り物ばかりでございました。事前にお供え物をお持ちくださる方やお送りくださった方もおられ、本当にありがたく大切にお供えさせていただきました。
また、当日は参拝したくても、できなかった方も多くいらっしゃったことと存じます。皆様方の想いを大切にお地蔵さま、そして水子さまにお届けさせていただきました。

この度の法要は、例年の如く、お地蔵さまのお歌の奉納から始まり、ご詠歌の奉納、献灯・献花・献香、そして僧侶方による地蔵尊大法要、最後に山本陽子さんのお歌を皆様に聞いていただきました。

法要が終わった後、毎年お話をさせていただいているのですが、今年は『水からの伝言』という本に掲載されている水の結晶について、映像をふまえてお話させていただきました。

水と申しましても、いろいろな水がございます。雲や霧となって空気中を漂っている水もあれば、雨水、地下水、湖や沼、河川、南極などの氷も、もともとは水でございます。私たちにとって、かけがえのない大切な水でございますが、良い水なのか、悪い水なのか、綺麗なのか、汚いのか、見ただけではわからないものです。
しかし、それをひとめでわかる水の評価法があるのです。それは水を結晶にしてみるというものでございます。
結晶というのは水の本質になりますので、中に含まれている成分などは関係ないそうなのです。ですから、たとえ私たちが飲めない水でも、本質が純粋な水なら綺麗な結晶ができますし、飲める水でも、本質が悪ければ、つまり汚染されていれば、結晶も悪くなるのです。

まず、私たちが日ごろ利用している日本の水道水の結晶です。
日本の水道水は、直接飲用できる綺麗な水ばかりでございます。しかし結晶にしてみると、場所によってなんとか結晶ができたり、結晶にならなかったり、様々でございました。それに対してカナダやアルゼンチンの水道水は、日本のように飲んで安全かは別問題ですが、日本よりも、とても美しい結晶がとれました。それぞれの国の原水の汚染度の違いからだそうです。

次に、不思議なことに水は音や言葉で変化することがわかりました。ベースとなる「基本の水」は不純物がもっとも少なく、シンプルな結晶構造をもつ精製水を採用し、その精製水にクラシックを聴かせると、結晶がなんとなく楽しげに踊っているような綺麗な結晶になり、お経を聴かせると力強く美しい結晶になりました。歌詞の内容は怒りがいっぱいのヘビーメタルを聞かせると、見事に結晶がばらばらに壊れた感じになってしまいました。歌詞に問題があったのかもしれません。

いろいろな文字を一晩見せて、結晶にしてみるとどうでしょう。
「ありがとう」や「愛」「感謝」などという文字を見せると、まるで宝石のような素晴らしい結晶になったのですが、「ばかやろう」「殺す」などという文字を見せると結晶が醜くゆがみ、潰れ、飛び散り、まさに醜悪なものでした。

また、普通に炊いたお米を3つの同じガラス容器に入れ、一方には『ありがとう』、もう一方には『ばかやろう』と言葉に出して毎日声をかけ、それを一ヶ月観察してみました。その結果、『ありがとう』と声をかけ続けたごはんは、半ば発酵状態となり、匂いをかぐと芳醇な麹のような良い香りに。一方『ばかやろう』のごはんは真っ黒に変色して腐り、その臭いたるや、ひどいものだったそうです。

この話を通じて、私が申し上げたかった事は、私たちの身体は70パーセント以上が水でできているということでございます。私たちの出す言葉や、思いも身体の水は敏感に反応しております。優しい言葉をかけると、ご自身の体の水も相手の身体の水も綺麗になるのです。悪口をいったり、相手を悪く思ったりすると、身体の水も汚染されていきます。

実はこの『水からの伝言』は学会では非科学的だということで問題視されておりますが、この世は科学で証明できないこともたくさんございます。実際、植物でも毎朝声をかけてあげると元気に育つって言われますけど、つまりこれは水の本質が変わってきているからではないでしょうか。
それに、良き言葉、良き思いは、自分だけではなく相手の身体も綺麗にしてくださるというこのお話は素敵でございます。そして、その行動や想いにより、誰よりも喜んでくださるのが、み仏さま、お地蔵さまや天国のお子さまたちだと私は思います。どうぞ、ご自身や相手の為や、あの子たちの笑顔の為にも、優しい気持ち、相手を思うお言葉を大切にして、毎日綺麗な身体でお過ごしくださることを願っております。

最後に、この度の地蔵尊大法要も、多くの皆様の愛に包まれたすばらしい法要でございました。この皆様方の想いを大切に、これからも責任をもってお供養を勤めさせていただきます。
いつまでもお子さまたちの幸せな笑顔を願って・・・。合掌

副住職 藤田晃秀
平成25年8月24日(土)は常光円満寺にて地蔵尊大法要(水子総供養)を厳修いたします。

この法要は、大勢の僧侶による読経だけでなく、お唄やご詠歌も奉納させていただく、年に一度のたいへん荘厳な法要でございます。
開始時間は午前11時~と午後4時~と午後7時~になります。

どなた様でも自由に参拝いただける法要でございますので、参拝できる場合は、いずれかの法要の時間に合わせておいでください。

この法要での水子供養を希望される方は、以下よりお申込ください。
来寺やお電話でもお申込を承ることもできます。(9時~17時)

【PCサイト】 http://www.enmanji.com/jizougon.html
【電話番号】06-6381-0232(9時~17時)

(注:この法要は、以前に供養された水子さまのための法要でございます。一度も常光円満寺でお供養されたことのない方は、毎日行っている水子供養にてお申込くださるようお願いいたします)

またご連絡くだされば、ご案内をお送りさせていただきます。
メールにてご住所とお名前をお教えくださるようお願いいたします。

【メール】 info@enmanji.com

皆様方のお参りを心よりお待ち申しております。合掌

私が、お檀家さまをお参りさせていただきますと、この時期は皆さま扇風機かエアコンをいれてくださいます。中には、お寺さんが来られるからといって前もってエアコンをかけて涼しくしてくださっているかたも多くおいででございます。本当にありがたく嬉しく感じております。
文明がすすんで便利なものが世の中に入ってきて、今は生活もしやすい世の中でございますが、私がお檀家さまをお参りさせていただいて最もありがたく感じることは、読経中『うちわ』であおいでくださるかたの存在でございます。
正直、エアコンや扇風機のほうが涼しいのですが、『うちわ』でゆっくりあおいでくださっている間は、人と人とのつながりというものが感じられて、温かい気持ちになってまいります。
このような、つながりが時代の進歩と共に失われてしまってはあまりにも寂しいですね。

スーパーやコンビニなどは、お会計をすべてバーコードでされます。バーコードは凄い技術で大変便利なのですが、その反面、ふれあいがなくなってきているように感じます。

昔の八百屋さんだったら、「○○円だけど、○○円おまけしておくね」とか「これサービスしとくね」っていう、ふれあいがありましたし、いろんな場面において、『会話』や『ふれあい』など、『コミュニケーション』を大事に楽しんできたように思います。

世の中が便利になることは、とてもありがたく良い事ではございますが、便利になるにつれて、この『コミュニケーション』が失われてしまっては意味がございません。
近所の方にお会いしたときは挨拶をいたしましょう。お買い物のレジでは「ありがとう」といいましょう。
召されたお子さまの親として、便利になっても『ふれあいの心』を大切にしていただきたいと思います。

もちろん、召されたお子さまとのふれあいも大切にしましょうね。
月命日やお近くに来られた時には是非お参りしたあげて想いをお伝えください。
初めての方はご案内させていただきますので、お気軽にお声をおかけくださいね。(初めての方は午前9時~午後5時までの間においでください)

副住職 藤田晃秀 合掌
先日、心温まるエピソードを拝見いたしました。

これは、知的障害者を兄にもつ小学1年生の子(弟)の話でございます。

入学式の日、その子(弟)の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な子が座りました。

最初の体育のときでした。手が不自由な小児麻痺の子は、着替えるのに30分もかかってしまいました。
時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。
どうしてだろうと思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと陰から見ていました。
すると、隣の子(弟)が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。
そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。

七夕の日のことです。ちょうど授業参観日でした。
先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。
お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました

一年生ですから、
「あのおもちゃかってちょうだい」
「おこずかいちょうだい」
というようなことが書いてありました。

その中に一枚だけ、こう書かれていました。
「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」
あの弟が書いたのものでした。

先生は、この一途な祈りを読むと、もう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、子どもがどんなに教室で不自由しているのだろう、迷惑をかけているのだろう、申し訳ないことをしてしまったと、教室に入れずに廊下からじっと様子を見ていました。
が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりと床に座り、この弟の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」

その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。

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小学1年生の子が、自分の意思で手の不自由な子の世話をすることは、なかなか出来るものではございません。

知的障害のお兄さんを持つ弟さんだからこそ、手の不自由な小児麻痺の友達を支えることができたのですね。
辛い経験は、優しさや思いやりの心を成長させてくれます。

皆様方も、このページをご覧いただいているという事は、お腹の赤ちゃんを亡くされるという辛い経験をされた方でございましょう。
しかし、この悲しみや苦しみは、人として大切な優しさや温もりという心を成長させる大きな試練でもございます。

そして、あの子はその試練を乗り越える勇気を必ずあなたにお与えくださいますよ。感謝の気持ちを忘れず、前向きな気持ちで毎日をお過ごしくださいね

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【七夕飾りのご案内】

常光円満寺には、7月7日まで七夕飾りをしております。

お子さまの願いは微笑ましい願いばかりです。
『パパとママにおこられませんように』怒られるようなことをしなようにしましょうね。
『プリキュアになれますように』将来は人助けのお仕事かな?
『そらちゃん、だいすき』天国の赤ちゃんも喜んでますよ。
などなど

その中で心打たれた願い事は
『お山のじいちゃんのびょうきがなおりますように』
『○○ちゃんが、ぶじにおおきくなりますように』
『いつまでもえがおでいれますように』
など。

大人の方は、ありがたいことに、家族の健康を気づかう内容と、感謝の気持ちを伝える内容がとても多いですね
皆様の願いを拝見するたび、いつも皆様の優しさや温もりを感じております。

是非、この期間にお参りされて、短冊に願いをお書きくださいね。
高木善之さんといわれる方をご存じでしょうか?
この方は退職されて地球村という環境団体をつくり全国を公演されている方でございます。

彼の家では、子供にあまり新しいものを買い与えないそうです。娘さんがつかっている筆箱も、お母さんが小学校時代に使っていた古い皮製の筆箱なのです。
それは、お母さんがこの筆箱を娘さんにあげるときに、「これはお母さんが小学校の時から大切に使っていた宝物なの・・・。これを買ってくれたお父さん、あなたのおじいさんは、お母さんが小学校の時に亡くなったの。お母さんは、これをお父さんの形見としてとても大切にしていたのよ。あなたが大切に使うのならあげようか。
と娘さんに話されたそうです。

ある日、娘さんが使っていた筆箱がクラスで話題になったのです。
ある男の子が娘さんに、
「お前の筆箱、古いやないか、俺のはこんなやで」
と娘さんの筆箱をばかにしたのです。

すると、ほかの子も一緒になって娘さんの筆箱を指差してからかいました。

そのときの娘さんの返した言葉が素晴らしかったのです。
「ねっ、古いでしょ!いいでしょ!これはお母さんが子供の頃から大切に使っていたんだって!おじいちゃんの形見なの・私も大事に使って私の子供にこれをあげるの」
と言われたのです。

すると周りの子供たちは一瞬シーンとなりました。
しばらくして男の子達が
「ふーん、ええな」
と言ったそうです。

新しいものは、いつでも手に入れることができるます。
しかし、思い出がつまったものは二度と手に入りません
簡単にモノを捨てないで大切にしないといけないですね。

もうひとつ、素晴らしいエピソードをお話させていただきたいのですが、この娘さんが初めてメガネをかけて学校に行くことになったのです。
そのとき高木さん夫婦は、学校でからかわれてメガネが嫌いになってしまったらどうしようと心配したそうです。

すると娘さんは「今日、めがねをかけていったでしょ。みんなが私のことをメガネザルとかパンダとか言ってみんな集まってくれたの。楽しかった。今度、みんなで動物園に行くことになったの」と笑顔で帰ってきたそうです。

同じ言葉をいわれても、感情は言葉の受け取り方で変わります。そして、その後の行動も大きく変わると思います。娘さんがメガネザルと言われたとき、ひどいと思ってしまったら、みんなで楽しく動物園にいくことはなかったはずです。


誰でもひどい言葉をいわれることはあると思いますが、大切な事は、ひどい言葉をいわれた時、どのように受け取るかということでございます。
その受け取り方ですばらしい人間関係を築くこともできるのでございます

お釈迦さまは
「善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行のすべてである」
とおっしゃっておられます

人生で最も幸せなことは、善い友、善い仲間、善い人々と生きることでしょう。でもそれは簡単なことではないです。やはり、努力が必要なのだということでございます。どんな人間であっても、まず自らが愛と慈悲の心と言葉と態度で人に接し、乱暴な言葉を吐かず、誠実な人間関係を築くという、日々の努力を続けることが大切だとおっしゃっておられます。

あなたのお子さまは、お地蔵さまのもとで、たくさんの善いお友達と一緒に仲良く幸せにすごしておいでです。いつも、愛と慈悲の心であなたを見守りくださいます。

天国の赤ちゃんの親として、善き友、善き仲間、善き人々と共に、安らかで幸せな人生を送りましょうね。
5月5日はこどもの日。
こどもの幸福を願う日でございます。

あなたのお子さまも、み仏の世界においでですね。

美しい草花、優しい仏さまに囲まれた温かい世界でございます。
たくさんのお友達と、きっと楽しく遊んでおいでです。

是非、常光円満寺にお参りされて、お子さまの幸せと、あなたの愛情をお届けくださいね。

あなたの愛情は、お子さまにとって、すばらしい贈り物になることでしょう


【ご案内】
現在、常光円満寺では、5月5日まで『端午の節句 特別展示』をしております。
また、お子さま連れの方には、お子さまに心ばかりのプレゼントも用意しております
皆様のお参りを、心よりお待ち申しております。