先日、心温まるエピソードを拝見いたしました。

これは、知的障害者を兄にもつ小学1年生の子(弟)の話でございます。

入学式の日、その子(弟)の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な子が座りました。

最初の体育のときでした。手が不自由な小児麻痺の子は、着替えるのに30分もかかってしまいました。
時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。
どうしてだろうと思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと陰から見ていました。
すると、隣の子(弟)が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。
そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。

七夕の日のことです。ちょうど授業参観日でした。
先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。
お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました

一年生ですから、
「あのおもちゃかってちょうだい」
「おこずかいちょうだい」
というようなことが書いてありました。

その中に一枚だけ、こう書かれていました。
「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」
あの弟が書いたのものでした。

先生は、この一途な祈りを読むと、もう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、子どもがどんなに教室で不自由しているのだろう、迷惑をかけているのだろう、申し訳ないことをしてしまったと、教室に入れずに廊下からじっと様子を見ていました。
が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりと床に座り、この弟の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」

その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。

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小学1年生の子が、自分の意思で手の不自由な子の世話をすることは、なかなか出来るものではございません。

知的障害のお兄さんを持つ弟さんだからこそ、手の不自由な小児麻痺の友達を支えることができたのですね。
辛い経験は、優しさや思いやりの心を成長させてくれます。

皆様方も、このページをご覧いただいているという事は、お腹の赤ちゃんを亡くされるという辛い経験をされた方でございましょう。
しかし、この悲しみや苦しみは、人として大切な優しさや温もりという心を成長させる大きな試練でもございます。

そして、あの子はその試練を乗り越える勇気を必ずあなたにお与えくださいますよ。感謝の気持ちを忘れず、前向きな気持ちで毎日をお過ごしくださいね

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【七夕飾りのご案内】

常光円満寺には、7月7日まで七夕飾りをしております。

お子さまの願いは微笑ましい願いばかりです。
『パパとママにおこられませんように』怒られるようなことをしなようにしましょうね。
『プリキュアになれますように』将来は人助けのお仕事かな?
『そらちゃん、だいすき』天国の赤ちゃんも喜んでますよ。
などなど

その中で心打たれた願い事は
『お山のじいちゃんのびょうきがなおりますように』
『○○ちゃんが、ぶじにおおきくなりますように』
『いつまでもえがおでいれますように』
など。

大人の方は、ありがたいことに、家族の健康を気づかう内容と、感謝の気持ちを伝える内容がとても多いですね
皆様の願いを拝見するたび、いつも皆様の優しさや温もりを感じております。

是非、この期間にお参りされて、短冊に願いをお書きくださいね。
高木善之さんといわれる方をご存じでしょうか?
この方は退職されて地球村という環境団体をつくり全国を公演されている方でございます。

彼の家では、子供にあまり新しいものを買い与えないそうです。娘さんがつかっている筆箱も、お母さんが小学校時代に使っていた古い皮製の筆箱なのです。
それは、お母さんがこの筆箱を娘さんにあげるときに、「これはお母さんが小学校の時から大切に使っていた宝物なの・・・。これを買ってくれたお父さん、あなたのおじいさんは、お母さんが小学校の時に亡くなったの。お母さんは、これをお父さんの形見としてとても大切にしていたのよ。あなたが大切に使うのならあげようか。
と娘さんに話されたそうです。

ある日、娘さんが使っていた筆箱がクラスで話題になったのです。
ある男の子が娘さんに、
「お前の筆箱、古いやないか、俺のはこんなやで」
と娘さんの筆箱をばかにしたのです。

すると、ほかの子も一緒になって娘さんの筆箱を指差してからかいました。

そのときの娘さんの返した言葉が素晴らしかったのです。
「ねっ、古いでしょ!いいでしょ!これはお母さんが子供の頃から大切に使っていたんだって!おじいちゃんの形見なの・私も大事に使って私の子供にこれをあげるの」
と言われたのです。

すると周りの子供たちは一瞬シーンとなりました。
しばらくして男の子達が
「ふーん、ええな」
と言ったそうです。

新しいものは、いつでも手に入れることができるます。
しかし、思い出がつまったものは二度と手に入りません
簡単にモノを捨てないで大切にしないといけないですね。

もうひとつ、素晴らしいエピソードをお話させていただきたいのですが、この娘さんが初めてメガネをかけて学校に行くことになったのです。
そのとき高木さん夫婦は、学校でからかわれてメガネが嫌いになってしまったらどうしようと心配したそうです。

すると娘さんは「今日、めがねをかけていったでしょ。みんなが私のことをメガネザルとかパンダとか言ってみんな集まってくれたの。楽しかった。今度、みんなで動物園に行くことになったの」と笑顔で帰ってきたそうです。

同じ言葉をいわれても、感情は言葉の受け取り方で変わります。そして、その後の行動も大きく変わると思います。娘さんがメガネザルと言われたとき、ひどいと思ってしまったら、みんなで楽しく動物園にいくことはなかったはずです。


誰でもひどい言葉をいわれることはあると思いますが、大切な事は、ひどい言葉をいわれた時、どのように受け取るかということでございます。
その受け取り方ですばらしい人間関係を築くこともできるのでございます

お釈迦さまは
「善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行のすべてである」
とおっしゃっておられます

人生で最も幸せなことは、善い友、善い仲間、善い人々と生きることでしょう。でもそれは簡単なことではないです。やはり、努力が必要なのだということでございます。どんな人間であっても、まず自らが愛と慈悲の心と言葉と態度で人に接し、乱暴な言葉を吐かず、誠実な人間関係を築くという、日々の努力を続けることが大切だとおっしゃっておられます。

あなたのお子さまは、お地蔵さまのもとで、たくさんの善いお友達と一緒に仲良く幸せにすごしておいでです。いつも、愛と慈悲の心であなたを見守りくださいます。

天国の赤ちゃんの親として、善き友、善き仲間、善き人々と共に、安らかで幸せな人生を送りましょうね。
先日、常光円満寺にて『さんまのからくりTV』の撮影がございました。

からくりTVさんは、高知県にすむ8人兄弟の生活を半年くらい追っているそうで、放送も何度かしているそうでございます。

この度、その一番上の長女が、大阪に就職が決まり、兄弟みんなで就職前の思い出旅行を計画。その宿泊先に常光円満寺を選んでくださいました。ありがたいことでございます。

8人兄弟ということで、大変なのかなって思っておりましたら、皆さんとても礼儀正しくて、しっかりと挨拶してくださいました。お話さていただいても、とても素直で言葉づかいや行儀もよく、何より兄弟の仲がとてもよくて、見ていて気持ちが良かったです。

撮影中も、みんなまったく緊張する面影もなく、料理をつくったり、一緒にお風呂にはいったり、花火をしたり、大切な時間を楽しそうに過ごしておりました
そしてなんと、8人兄弟へのサプライズで、兄弟みんなが大好きな『つるの剛士さん』が駆けつけてくださり、大盛りあがりでした。

素直な子供たちの姿は見ていて本当に気持ちの良いものですね。
子供たちの喜ぶ姿をご覧になられて、お地蔵さまもさぞかし喜んでおいでだったことでしょう。

最後には、スタッフさんからの配慮で、お寺の者も含めた全員で写真をとっていただきました。
私たちにとっても、とても良い記念になりました。

【さんまのからくりTV】
 放送日:5月26日午後7時 TBSにて
 よろしければご覧くださいませ
今日は「花まつり」でございます。

花まつりというと満開の桜の木の下で、みんなでおいしいお弁当を広げて花見をすること?
確かにそれも花を愛でる「花まつり」ですね。でもここでいう「花まつり」とは違います。

仏教でいう「花まつり」とは、4月8日にお生まれになったお釈迦さまの生誕をお祝いする日なのです。

お釈迦さまは、色とりどりの花に囲まれたルンビニーの花園で誕生されました。
あたりには、うつくしい音楽がひびきわたり、甘い香りの雨がふりそそぎ、お釈迦さまの体をきれいに洗い清めました。
するとお釈迦さまは、すっくと立ち上がり、七歩あゆまれ、天と地を指さされ「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言われたのです。四月八日のことでした。

この言葉を直訳すると「天にも地にも世の中で自分ほどえらいものはいない」という意味になりますが、そういう意味ではございませんよ。

それでは、本当はどういう意味なのでしょうか。26歳の若さで亡くなった天才童謡詩人、金子みすずさんの有名な詩に次のようなものがあります。

 『私と小鳥とすずと』

‘わたしが両手をひろげても お空はちっともとべないが とべる小鳥はわたしのように、地べたをはやくは走れない わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのようにたくさんな歌はしらないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい’

お釈迦様のいう唯我独尊とは、この世の中で、みんなそれぞれにお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、かけがいのない尊い命であるということです。

‘みんなちがって、みんないい’

人間だけでなく、動物も虫も植物も物もお互いにみんなそれぞれ尊い存在です。お互いの違いを認め理解し合うことが大切なのでございます。時間もそうですよね。例えば「10年に1度だけ」などというと、とても貴重なめずらしい日に感じられますが、今日(2013年4月8日)という日も、未来永劫でたった一日だけの貴重な日でございます。

かけがえのない時間、かけがえのない自分。まわりの皆様もかけがえのない方々。かけがえのない物、すべてそれぞれ大切な尊いことなのですよ、という意味が「天上天下唯我独尊」という言葉に込められているのです

もちろん、あなたにとってお子さまはかけがえのない存在でございましょうし、お子さまにとっても、あなたはかけがえのない存在でございます。

「天上天下唯我独尊」

そのお心を大切にしましょうね。

合掌
先日、講演会で、とてもいいお話を聞きました。

ある企業が、七階建てのビルを持っていました。
各階に社員用のトイレがあるのですが、それがいつも落書きで汚されてしまうのです。
社長自ら、何度も何度も社員を全員呼び寄せて注意をするのですが、まったく効果がなかったのです。それどころかどんどん落書きがひどくなっていったそうなんです。
この社長もいうことを聞いてくれない社員にストレスは溜まるばかり。
とうとう社長も匙を投げてしまわれたのです。

それで、トイレ掃除だけをしてもらうためにパートのおばさんを雇われたんですが、この、たまたま雇ったおばさんが、すばらしかったのです。

一生懸命すべて落書きを消されて、そしてすべてのトイレに小さな張り紙を張られたのです。

すると、会社の社長がいくら注意しても無くならなかった落書きが、その張り紙をはってから、ぴたっとなくなったんです。

社長が驚いて、信じられない思いで見に行ったら、小さな張り紙にはこう書いてありました。

『ここは私の大切な職場です。この職場を落書きで汚さないでください』と。

このおばさんが、「トイレ掃除はたいした仕事ではない」と思ったら、たいした仕事ではありません。反対に「トイレ掃除は、私に与えられた大切な仕事なんだ」と思えば、素晴らしい重要な仕事になるんです。

そして、その思いもってされている方のお心は、周りの方々もちゃんとわかってくださるのですね。

社長は初めて気付かされたそうでございます
「肩書きじゃないんだ。与えられた役割、仕事をどういう姿勢でやっているか、そういう心がけが大切なんだ。思いを変えることによって、職場を変えることができるのだ」と。


3K(危険、きたない、きつい)という言葉がございます。本人が3Kと思ったら、そこは3Kの職場になります。しかし「私にとっては、ここが大切な職場なんだ」と思ったなら、どんな職場だって素晴らしい仕事場になるのです。

今、主婦をされている方は家事が、自分に与えられた素晴らしい役割でございます。学生の方であれば、どういう思いで勉学に励むかが大切なのでございます。

そして、召されたお子さまを心から想えるのは、あなたご自身しかおりません。あの子の笑顔の為に、自分には何ができるのかという想いをこれからも大切になさってくださいね。

最後に、私は、召されたお子さまのお供養をいう、たいへん尊い役割をさせていただいております。
この、すばらしい役割に毎日、感謝しております。
これからもご両親のお心を大切に、真心をこめてお子さまのお供養させていただきます。

副住職 藤田晃秀 合掌

本年もよろしくお願いいたします。

皆様は、大野勝彦さんをご存知でしょうか。
大野さんは絵を描き、詩を書く芸術家の方なのです。
とても、ほのぼのした絵を描かれる方でございます。

この大野さん、実は今から20年ほど前、事故にあわれるのです。農業の機械に両腕を挟まれまして、両腕切断という大事故にあわれた方です。

大野さんは、そのときの様子をこう語っています。
「自分の腕がミンチのようにぐちゃぐちゃになっていく姿は、想像を絶する恐怖でした。
母が横で泣き叫びながら必死に、必死に助けようとしてくれたことが印象に残っています。」と

母親は、事故後、息子を助けることができなかったと、自分を責めて嘆き苦しまれていたそうなんです。大野さんは、そんな母の姿を見て、
「このままではいけない。このままではこの母の苦しみをとってあげることはできない」と思い、なんとか自分を奮い立たせて、失くしてしまった腕の傷の上からガムテープで筆をはり、手紙を書かれたのです

内容は
『ごしんぱいをおかけしました。両手先ありませんが、まだまだこれくらいのことでは負けません。
私にはしなければならないことがたくさんありますし、多くの人が私をまだまだ必要としているからです。がんばります』

それから両腕の傷が癒え、失くしてしまった腕の代わりに義肢をハメ、その義肢の先に絵筆をもち、一心に自分の思いを書かれたんです。

事故をする前までは、わがまま放題だったそうなんです。しかし母の愛や皆様の優しさに触れて、周りがとても温かいことに気がつかれたんです。両手を失ってからガラッと想いが変わられて、自分にできることということで、作品を描いてみんなに喜んでいただくという素晴らしい魅力にとりつかれるのです

ほとんどが自分自身へ向けてのメッセージなんですけども、これらの作品が多くの方に勇気と感動を与えることができたんです。
そしてついには、『芸術祭金賞』という尊い賞を取られた方でございます。

そして、私が大野さんについて最も感動したことが以下の内容です。

ある方が大野さんに、もし何か願い事が叶うとすれば何か欲しいものはありませんか?尋ねられ、大野さんは少し考えられます。
「私は今、こんなに幸せにしておりますので欲しいものはありません。」
「でも、もし願いが叶うならば、私は私の両手が欲しいです。」
そうおっしゃったんです。

私は、それを聞いて、どんなに上手に絵を書く事が出来たとしても、どんなに上手に詩を書く事が出来たとしてもやはり自分の両手がいいんだなぁ、自分は幸せなんだなぁって、そう思ったんです。

しかし大野さん、こう言われたんです。
「5分間でいいんです。いや、1分間でいいんです。私は私の両手が欲しいんです。」って言われたんです。

私はそれを聞いてどうしてだろうって思ったんですが、大野さんはそのあとでこうおっしゃいました。

「私は本当に両手を失くして、たくさんの人たちに助けられるありがたさを覚えました。たくさんの人と知り合うことができました。毎日毎日、こうして楽しく暮らしております。私は何も欲しいモノはありません。

だけど、ただ一度だけ願いが叶うとするなら、ただの一つだけ願いをかなえてくださるのなら、私は私の両手をしっかりと胸の前で手を合わせて、両親や私を助けてくださった皆様にありがとうございますと伝えてみたいんです。

私はわがままほうだいで、手があるときには、合掌したことなどなかっんです。だから一度で良いから合掌して、みなさんにありがとうございます。と伝えたいんです」
そうおっしゃったんです。

私たちは、ちゃんと両手がございます。ちゃんと手を合わせることができます。手を合わせて感謝の気持ちを伝えることが出来ます。これってすごくすばらしいことなんだなぁって。

私は大野さんから、両手があるあたりまえのすばらしさ、手を合わせて感謝できることの素晴らしさを教えていただきました。

皆様も“あたりまえの素晴らしさ”や“感謝できる素晴らしさ”を今一度感じましょうね。

私も、皆様の可愛い可愛い赤ちゃんたちの供養をさせていただくことに感謝して精進いたします。