昨日、私の母が入院し、緊急手術をしました。
手術はすぐに終わったのですが、傷口がひどく痛むらしく、涙を流しながら「痛いよう 痛いよう」と、悲痛な声をあげていました。そして私の方にゆっくりと手を差し出してきたので、私は思わず母の手を握ったのです。
すると母も、ぎゅっ、と私の手を握って、傷口の痛みに必死に耐えていました。
ふと、私の頭の中に『母の手を握るのは何年ぶりだろう。』そんな思いがよぎりました。
そういえば、今まで、恥ずかしくて母と手をつないだ事などないように思います。
もしかすると、幼稚園か低学年のとき以来かも・・・。
だとすれば、約30年ぶりくらいになるのでしょうか。
約30年ぶりに握った母の手は、少し"かさかさ"していたけど、とてもやわらかく、そしてとても暖かかった。
しばらくして、少し痛みが落ち着いてきたらしく、力強く握っていた手が弱まってきました。ただ、私の手を決して離そうとせず、優しく撫ではじめたのです。
きっと、母も、約30年ぶりに握る息子の手に、いつまでも触れていたかったのだと思います。
そんな母が、とても愛しく感じました。
次の日、痛みはだいぶ治まっていたらしく、母の笑顔がありました。
私が面会に伺ったときは、父がいたのですが、しばらくして帰ったので、私と母と二人きりになり、久々に、いろいろな思い出話をしました。
子供の時のこと、友達のこと、楽しかったこと、悲しかったこと、母の愛、母の失敗談、2人でいろいろな懐かしい話に花を咲かすことができました。
ただ、昨日、私の手を握った感触が忘れられなかったのか、今日も会話中、ずっと私の手の上や、太ももの上に、手を置いたり、撫でっぱなしだったのが、なんとも言えず、あいらしく感じました。
夕食の時間には、母が「ここの病院食、おいしいから食べてごらん」と料理を私の口に運んでくれました。さすがに、こればかりは恥ずかしかったです。
母親というのは、子供がいくつになっても母親なのですね。
子供に対する愛情は、幼いときから決して変わっていないのだと感じました。
ただ、子供の自立を願う気持ちや、照れくさい気持ち、環境への配慮などで、あえて距離を保っているだけなのだと。
母はふと小声で「入院して、よかった」と言いました。
母が退院したら、もう手を握ったりすることはないと思うけど、でもこの入院で確実に母と私との心の絆は深まったと思います。
水子になってしまわれたことは大変悲しい出来事ではございますが、あの子が教えてくれたことはそれ以上に大きなものもあると思います。
あなたの天国の赤ちゃんに対する慈愛のお心は、あの子からの大切な贈り物です。
天国の赤ちゃんを愛する心と同じように、あなたは愛されて生まれてきて、そして、今も家族の愛に包まれていることを教えてくださっているのです。
それは、あの子からのお慈悲なのですよ。
天国の赤ちゃん、感謝しましょうね。
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